日記のようなそうでないような?

震える

まるで一つの曲のようだった。

心地よく心にあたたかさをくれる、

でも、

それははじめだけだった。

 

その曲は指揮者の意図に反して

渉、祐之介、エマ、そして響子が織りなす崩壊的な不協和音、

もしくは、別の心の一曲が同時に鳴り出したかのようで。

 

幸せだった。今も幸せ。

ただ切なくなるのは、幸せなだけじゃないから。

 

 

無伴奏』を観た。

ずっと気になっていた映画、

理由は池松壮亮が出ているから、そんな単純な理由だった。

 

日付が変わる頃、ふと目についた。

 

最近は映画を観るのにハマっていたけど、

こればかりは私が震えるほかなかった。

 

素敵だから。憧れるから。かっこいいから。切ないから。苦しいから。びっくりしたから。予想できなかったから。良いと思ったから。

 

涙がこぼれ落ちる瞬間というのは、そういう理由。

私の涙は、そういう理由。

 

響子と渉が初めてキスをしたシーン。

響子が真実を知った後、渉が全てを告白するシーン。

祐之介の罪を、渉が必死にかばおうとしたシーン。

 

涙は胸の奥底からぐいぐい押し寄せてきて、

のどを這い上がり顔をめぐらせ

やっと目にたどり着いた頃には自然に頬をつたっている。

 

この感覚を幾度となく味わえたのは、この作品が初めてかもしれない。

こんなにも、感想を言葉で表現したいと思えるのも。

 

 

登場人物は、私の憧れでもあった。

妄想であり、手の届かないものである。

落ち着いていて、ミステリアスで、自分の居場所があって、それでも秘密があって、信じたいものがあって、信じられる人もいて、愛すべき人間がいて、裏切られても愛しとおせる人がいて。

 

響子に私の像を重ねてみる。惨めだった。

全然違った。それでも私は心だけでも響子に寄り添いたかった。

 

だからこそ、崩れゆく幸せに、

”死にたくなる”のかもしれない。

、だからこそ?わからない、うまく言えない。

 

彼女たちの一語一語が胸の奥底で共鳴している。

映像が鮮明に目の奥底で繰り返されている。

 

すべてのはじまりは『無伴奏』だった、

四人の物語(といえるのだろうか)のはじまり

そして響子の新しい”人生”のはじまり

その大事なタイミングにいつも『無伴奏』にいる彼女。

 

私にもそんな場所が欲しい、と

単純ながら確かに思った。

 

 

ただ一つ、少し残念だったのは、

この映画の終わり方が、前向きであったことかもしれない。

前向きじゃない方が良い、とは断言できないけれど、

思い出の一ページを目にした響子が東京へと歩いていくシーンに、

少し違和感を覚えた。

ではネガティブな終わり方の方が良かったのか、と言われれば、

そうだと言うことも出来ない。

 

ただ私はそう感じたのだという記録を、ここに残したいから綴っている、それだけ。

 

 

ここに記した感想は現在の私の中にあったもの。

だから『無伴奏』を観たことのある他の人が読んだり、

もしくは未来の私が読み返したとき

「何言っているんだコイツ、全然わかってねえな」とか「そう感じた何てお子ちゃまね」などと思われるかもしれない。

 

それでも良い。今の、確かにここにあるこの感情を

一思いに綴ること、そのものが私の感想であり、

それはとても意味のあることだと思うから。

 

オススメの映画を聞かれたら

しばらくはこの作品を紹介するだろうなあ。

 

どういう映画?ジャンルは?どこが良かった?

質問されても答えられない。

ただ観てみてほしい。私が心震えた作品を。